世界はいつだって夜だ

食べ物だったり、思ったことだったり

じいちゃんが死んだ。そして、人との繋がりを考える。

 

こんにちは。

 

私のじいちゃんについての事を文字として可視化したいと思いブログ更新中✏︎✏︎✏︎

 

 

 

2017年12月

じいちゃんは死んだ。

96歳の誕生日を迎えて約1週間後のことだった。

私の父や母、親戚や近所の人は「大往生だったね」とか言ってたけど、私はもっと生きていて欲しかった、花嫁姿やひ孫の顔を見て欲しかった。じいちゃんはまだまだ死なないとも思ってた。

 

お通夜は自宅で、葬儀は自宅近くの公民館で行われた。

若かりし頃のじいちゃんは地元の会社に勤めてて役職についていたらしく、お通夜や葬儀には会社関係の方や地域の方々がたくさんお別れしに来てた。

 

 

 

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「あんたがあの時の孫かいね。大きゅうなったの〜。よくあんたをおぶって町長室へ来たもんだ。」

当時の町長さんが私たち孫にそう話してくれたけど、知らない。

 

 

「じぃさんはのぉ、昔は煙草を吸っとんたんじゃが突然ダムにみんな捨ててしまってからに。じゃがの、じぃさんのキセルはわしが貰ったんよ。」

親戚の叔父さんが懐かしそうに話をしてくれたけど、じいちゃんが煙草を吸ってたことなんて知らない。

 

いろんな人がじいちゃんとの思い出話をしてくれた。

だけど、私は知らない、知らない、知らない、知らない。私はじいちゃんのこと何も知らない。

子供の頃はどんな遊びをしてたのか、仕事のこと、ばあちゃんとの出会い、じいちゃんの子供達のこと、私たち孫が生まれた時どんな気持ちだったのか、、

じいちゃんは生まれた時からじいちゃんだったわけじゃないのに、、、

私はじいちゃんに興味を持って話を聞こうとしなかった事に気が付いた。それは、家に帰れば当たり前のようにじいちゃんが居たから。

特別、聞かなくてもいいや。と思ってた。

今となっては、後悔でしかない。

 

 

 

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じいちゃんとの記憶があるのは

 

幼稚園に通ってた頃

・じいちゃんの運転で、ばあちゃんとデパートに行ってビーズセットを買ってもらった。

 

小学生の頃

・椎茸菌を原木に打ちつける手伝いをした。

町道脇の植込みの手入れをするじいちゃんを車から見てた。

 

中学生の頃

・雨の日や雪の日にじいちゃんが車で中学校まで送ってくれた。

 

他にもあるはずだけど、ちゃんと覚えてるのはこれくらいしかない。

高校は寮に入った為、月に1回しかも1泊2日しか家に帰れなかったし、じいちゃんばあちゃんと住んでた家を出て家族だけで暮らし始めた

のでじいちゃんと会う機会が減ったから高校時代のじいちゃんとの思い出が無い。

大学生時代や社会人になってからは、自分の事で精一杯だったし、実家に帰省したとしても友達と遊びまくってたのでじいちゃんと会話する事はほぼなかった。

 

 

 

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「人はいつか死ぬ」

 

そんなことは知ってる。

でも、その「知ってる」は頭の中だけでの知ってるだった。

じいちゃんの死によって、身体で心で「知る」ことが出来た。

 

 

 

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私の今までを振り返ると、割と表面だけで浅く人と関わってきてたなと思う。人付き合いは面倒だなとも思ってた。

こと恋愛に関してはペラペラのペラ。

だけど、親友と呼べる同性、異性の人達ももちろんいる。

(なぜ表面だけのペラペラだったかは、また別の機会に書きたいと思ってる)

 

じいちゃんの死を経験して、私に関わってくれる人達(家族や友達、仕事関係等)に興味を持って接していこう。という気持ちになった。

じいちゃんが死んだ時に後悔した気持ちにはもうなりたくない。

その人たちの事を知りたい。全部は全部分かり合えないかもしれないけど、深く。

 

そう思えるようになってから人との繋がりがとても大切に思えるようになり面倒だなという気持ちも減ったなと感じる。

健康に生きれる年数なんてしれてる。まして、生きてる間に出会える人も限りがある。

そんな限られた中で関われる人達との繋がりを大切にしようと思うこんちゃんです。

 

おわり。